小さな家で暮らしたい
ある程度の年齢になったら、こじんまりとした平屋に住みたい。以前からぼんやりとそう思っていました。でも50歳を過ぎて建てた自宅は、こじんまりしているけれど3階建て。人生のしがらみや制約の中では全てが思い通りとはいかないようです。
私が社会人になったのはバブル時代が終わって間もなく。その頃は大きな家に住むことが幸せだとまだ多くの人が思っていた、あるいは思い込んでいたような気がします。でも令和の今、大きい家よりは必要最小限の広さの家に住みたいと考える人が増えているのではないでしょうか。
そう感じる理由は…。
まず、1つ目として子どもを産み育てる人が減りました。新しい家族を持つ機会が減り、広さが必要なくなったこと。
2つ目は専業主婦が減り、フルタイムの仕事と並行して家事育児をする人や夫婦が増えたこと。住まいが必要以上に大きいと管理範囲が広がり、家事効率が下がりがち。
3つ目は現役時代に手に入れたマイホームに、子供たちが独立したあとも住み続けている人たちが多いこと。夫婦や単身には広すぎ、高齢になるほど維持管理が負担になります。
わが家は夫婦と子供1人。部屋数は多くは要らず、私はフルタイムではないけれどパートタイムの主婦。子供は高校生で独立まではもうあと数年。上記3つ全て、少しずつですが当てはまります。やはり大きな家は要らない。
でも!小さい家が良いけれど狭いのはイヤだという、矛盾する願い。
では、小さいけれど狭くない家とは?
この問いへの答えとしてはさまざまな考え方、工夫のやり方があるでしょう。
そんな中、小さくても快適な家を作るのに私が何よりもまず重要だと感じたのは、自分たちの暮らしを掘り下げて考えること。大型テレビやソファセットのある、広いリビングはわが家の暮らしに必要か?キッチンは対面型でないとダメか?など。「一般的に」ではなく「わが家の今と遠くない将来に」必要なものは何か、と。
例えば、リビングを小さくしても階段に面積を割いて昇り降りをより安全にする、浴室よりも家事の要となる洗面室の広さを優先する~こんな感じで小さなわが家はひとまず完成しました。
その際、敷地が小さいという制約も重要でした。もし環境は許せば、ついあれこれと広くしたくなるものです。たっぷり収納や広々キッチン、大きな庭…魅力的ですもの。ただし広ければ維持管理の手間もそれに比例して増える場合が多い。喜びや快適さであるはずが、年を重ねたりして負担感のほうが上回ってしまうのは避けたいものです。
住まいに限らず、50代からも新しい“喜び”を求めつつ、負担感とのバランスを取りながら自分らしくやっていけたらいいなと思います。
「南向きの家」に疑問を感じる猛暑
暑くて長い夏が今年もやって来ました。家の南面の窓は強すぎる陽射しを遮るためにカーテンなどで閉じられることが多くなり、せっかくの南向きが残念な状態に。かつて私が建築の勉強をしていた頃は、家は南にひらけることが基本だと教わりました。また北側を大きく開けると、寒くて結露やカビの要因になり得るとも。それから20年以上経った今、こう暑さが厳しいと南向きの家が良いとは一概に言えないのでは?という疑問が沸き上がる。今回は「南向き主義」に大いなる妄想で抗ってみます。
妄想① 北側にひらけた家にする
建築を学んでいたその頃、アトリエなどの部屋は北向きが適している、とも教わりました。入ってくる光の加減が常に一定で、製作活動に影響しにくいため、というのが理由だったと記憶しています。でもこれって、日常生活にも普通に当てはまるのでは?吹き抜けなどのハイサイド窓や天窓だけでなく、一般的な掃き出し窓も北向きに大きく作れば天候に左右されずに一定の明るさをもたらしてくれそう。直射日光ではないので遮る必要もほとんどないはず。また、かつては課題だった室温の低下については、建具の機能が向上してペアガラスやトリプルガラスが普及して窓の断熱性能は大幅にアップ。充分に対応可能ではないでしょうか。もちろん寒さや降雪が厳しい地域など土地によって事情は違ってきますが、大きな窓を北側に配置するのが新常識になる日も近いのでは⁉
妄想② 南面は掃き出し窓をやめ、横長窓にする
夏、窓から強い陽射しが直接部屋に届かないようにするために、高い位置の太陽の光を遮る庇や軒の出を取る。これは日本の昔ながらの手法ですが、厳しい暑さの現代にこそ必要だと感じます。そしてより効果的にするために、床までの窓ではなく腰高さの窓がいい。

さらに冬場にはあたたかな光を多く取り入れたいので、横に長い窓をできるだけ多く取れれば理想です。

「南には庇(軒の出)と横長の窓を、北には大きな窓を」
ただしわが家の工事はとっくに終わっているし、そもそも密集地で日当たり事情も通常とは異なっていて、全く妄想なのですが…。
うちの南面にある大きな窓には縦型ブラインドを設置しました。ルーバーの向きを変えることで直射日光を防ぎつつ明るさを取り入れることができます。最近はレースカーテンに遮熱などの機能が付いたりして、陽射し対策の選択肢も増えていますね。

縦型ブラインド
かの徒然草には「家のつくりは夏をむねとすべし」と書いているそうですが、現代において夏を乗り切ることを優先した家づくりの必要性は、兼好法師の時代よりももっと深刻かもしれません。
高齢の親との距離感を見極める~長寿と核家族
私たち夫婦の存命中の親は80歳前後ですが、いずれも比較的元気。それでも近頃は彼らの老いを目の当たりにすることも増えました。一方私たちの息子は高校生で、こちらの親子の距離感にも苦慮する日々です。できるだけ手や口を出さずに見守って、必要ならば適切に助ける。子育ての理想です。でもこれって、年老いてきた親への対応としても理想なのでは?今回は高齢の親との関係について考えます。
親世代の孫にあたる子供たちが幼い頃までは、私たちのほうが親を頼りにすることが多くありました。孫たちが成長した今では直接会う機会が減って、気づけば親は後期高齢者。本人たちが一見変わりなく思えても、こちらから助けたほうがよいことも実は意外と多いかも。自分の親なので逆に客観視が難しい。
日常生活は支障なくても、大きな買い物、トラブル解決、スマホなどのITのこと…。「ケア」までは要らないけれど、若い世代の「アシスト」はあったほうが良い。そんな高齢世帯は多いのではないでしょうか。ただ、近い距離で見守れるとうまく助けられますが、子育てと違い、離れて暮らす親を見守るのは難しい面もあります。
かつては子供たちの一人が「家」を継いで親と同居するという流れがあり、制度化されていた時代もあります。一般的には、同居すれば子育ての期間は親世代(祖父母)の協力を得やすく、やがて祖父母が老いてケアが必要になれば孫世代も含めて家族で担うなど、理に適う部分も多かったと思います。また終活のための断捨離や引継ぎも、同居なら今ほど困難ではなかったかも。一方、そこには不本意にも個人が「家」に縛られたり、産まないことで責められ貶められたりする理不尽も多かったことでしょう。
そして核家族化が進んだ現代。個人・夫婦で意思決定ができ、自分らしさが尊重されやすい社会に。とは言えある程度の身体能力や判断力がないと自分らしく生きるのも難しい。高齢になっても自分らしさが尊重されるには、多くの場合何らかの次世代のアシストやケアが必要になります。
でも身体能力・判断力の低下した人を、ケアしながら尊重することは容易ではなさそう。血縁があればよいわけでもないと感じます。介護サービスを契約・利用するにしても、その人の今の暮らしや思いを分かっていなければ個人を尊重するのは難しいでしょう。
核家族時代の私たち。日常生活を親と共有していないからこそ、ケアが必要になる前から意識的にアシストする視点を持つことが有効かもしれません。彼らが私たちをまだまだ助けてくれたり勇気づけてくれることもあるでしょう。親世代と現在進行形で双方向の関わりを続けることで、ケアへの移行をスムーズにしたり、もしかしたらそれを遅らせられることもあるかも。
それと同時に、今の少子化社会、将来私たち世代がケアされる時のことを思わずにはいられません。アシストされながら、ケアされながら尊重される。私たちにそんな将来があるかなぁ。
今の親たちとの関係の中で、より良い将来へのヒントも得られるといいなと思います。
引き戸かドアか〜家族の距離感を整える建具
住まいの中の引き戸やドア。部屋を行き来する開口部にどんな建具をつけるかは、家族の距離感や家事のやり方に少なからず影響するのではないでしょうか。今回は住まいの建具について考えます。
住宅の屋内建具というと、まず引き戸とドアが思い浮かびます。引き戸の特徴はドアに比べて開けっ放しにしやすいところ。一方ドアは閉まっていることが常態で、必要な時だけ開閉するもの、と言えるかもしれません。またその構造上、閉めたときにはドアの方が引き戸に比べて壁との間にすき間ができにくく、音や光の漏れが少ない。

ドア・引き戸の例
そして現在は住宅の高気密・高断熱化が進んだこともあり、引き戸でもドアでもない、第三の選択肢ともいうべき「建具無し」も増えているようです。もちろん個室と共用部との間には建具有りが一般的。一方共用部どうしを隔てる建具は以前の住宅に比べて減りつつあります。2つほど例をあげると…
まずはLDK。一室化が進んでカウンターやソファで台所・食堂・居間がゆるく仕切られても、壁や建具で隔てる間取りは減少傾向です。またLDKから廊下を介さないで各室へ直結する間取りならば建具はさらに減ることに。
二つ目は収納。ウォークイン型が増えました。かつては下図左のように部屋の一つの面をクローゼット建具が占めることが多かったのですが、今はドア1枚分の出入り口で行き来するファミリークローゼットやパントリーが多くなりました(下図右)。

左図に比べて右図の間取りなら建具が少なくて済み、カーテン・ロールスクリーンなどの簡易なものや「建具無し」も選択肢に入ってきます。それに使用頻度の高い収納室なら開けっ放しにしておけると便利な場合も多い。
素材にもよりますが、一般的にドア→引き戸→カーテン・スクリーン→何もつけない、と順に遮断性は下がります。建具を選ぶことは場所と場所の「隔て加減」を選ぶことだとも言えます。
ちなみにわが家では屋内建具はほぼ全て片引き戸です。小さな3階建ては家の中が階層でかなり隔てられるので、開けておける引き戸で「隔て感」を軽減したいと考えました。幸い個室どうしは隣接していないので、ドアに比べて遮断性が低くても特に差し支えありません。またわが家のLDKと洗面室との間の片引き戸は、家事動線を遮らないように普段は開けっ放し。入浴脱衣や音が大きい洗濯機の運転時など必要な時のみ閉めます。
開けっ放し・ゆるく閉じる・時々閉じる・しっかり閉じる…部屋と部屋とをどのように隔てるかは、家事効率や夫婦・親子関係にじわじわと効いてくるのかもしれません。
「見える」が家事をスムーズにしてくれる
掃除機の先端に照明が付いていると、家具の下など暗い所の掃除機がけがしやすい。見えないまま掃除するよりもゴミや汚れを目で確認しながらの方が早く確実にできます。「見えること」で家事はスムーズになる。年齢が上がるにつれてそう感じます。前にも少し書きましたが、家の中の「見える」について今回3つの点で考えてみます。
①見やすい照明
前述の掃除機もそうですが、照明は大事。特に老眼が進むと照明の“色”が見えやすさを左右します。電球色だと見えづらい場合があり、気づけば眉間にシワを寄せて見ていることも。台所や洗面、クローゼットなど作業・収納の場所は、くっきり見える白色系の照明のほうが向いているように思います。細かな字やうっすらとした汚れなどの見まちがい・見落としを防ぎやすく、家事の効率を下げずに済みそう。
また作業にもくつろぎにも使うリビングなどの場所なら、調光調色ができる器具を使ったり、補助のスタンドや別系統の照明を白色系にしてベースの電球色と使い分けてはどうでしょう。くつろぐ時は柔らかい雰囲気の灯りにできると良いと思います。
②隠さない収納
主婦歴十数年、隠さないで「見える」収納が私には合っていると感じています。その利点は、物のある場所が一目で分かることに加え、「無い」ことに気づきやすいこと。ハサミや老眼鏡が定位置に戻っていない、ストックが少なくなっているなど「無い」ことに早めに気づくと、その時点で戻したり補充したりできます。いざ使おうと扉を開けてから無いことに気づくのと比べて、家事の手が止まるのを防ぎやすいです。
③動線上の仮置き場
収納のコツは物の住所(定位置)を決めて常にそこに置くこと、と聞きます。できるだけそうしたいのですが、家庭では定位置が決めづらいモノたちが次々にやって来たり、作業の具合ですぐに片づけられなかったりとルール通りにならないことも多い。また片づけて目につかなくなり、その後の処理を忘れてしまうことも。住所不定やまだ仕事の終わらないモノには、仮住所や中継地点が必要だと思います。そしてそれは家の中の動線上の、目について手に取りやすい高さの場所が適しています。例えばLDKの出入口に目を通すべき書類などを仮置きできたり、小さな3階建てのわが家で上下階の行き来を減らすために階段そばにちょい置きできたり。
常に見えることで忘れることなく処理できるし、逆に仮置き場にモノが溜まっていたら家事が滞っているサインにもなります。
家の中を可視化して家事をすんなりと回せるといいと思います。ただ、あえて目をふさぎたいことも時々ありますけど…。
うちだけかもしれない家事のやり方…出しっぱなしの脚立
家事のやり方って普段よその目に触れる機会が少ないので、これってうちだけ?ってふいに気づくことがあります。そんな"うちだけかもしれない"家事のやり方を2つ、読んでいただけたらうれしいです。
うちだけかも① 脚立は出しっぱなし
2段のアルミ製の脚立を出しっぱなしにしています。軽くて大き過ぎずに運びやすく、小柄な私でも高さに余裕を持って作業できて便利です。とはいえ使う頻度は1週間に1回あるかないか。にもかかわらずたたんでスキマなどにしまうと「出して開く/閉じてしまう」をめんどくさいと感じる。私は人一倍ものぐさなのでしょうか。
脚立がすぐ使える状態なだけで、少し高い所のモノの出し入れや整理、空調フィルター類のお手入れなどをぐんと気軽にやれるように思います。ただ以前置いていたアルミ色の脚立だと、来客のたびに「何かの作業の途中だった?」と訊ねられました。木目調のアルミ脚立(下写真)に買い替えたら家具と同化して目立たなくなり、一件落着。

木目のアルミ脚立
食卓の4脚目の椅子のようにおさまっています
うちだけかも② 床拭き用タオル掛けがある
濡れた手や洗い終えた食器(食洗機を使ってないため)、予洗い後の衣類などからしばしば水滴が落ちます。そうして台所のシンク前や洗面台の前の床をよく濡らすわが家。拭き取るための布、つまりぞうきんを近くに掛けています。令和時代にぞうきんは少数派でしょうね…。フェイスタオルの“お古”をそのまま再利用しています。
そして床に近い高さに掛けるようにしています。下の写真のようにワゴンの横桟や洗濯機側面の下のほうにひっそりと。
左:洗面室 / 右:台所
ちなみに知人宅では、それらの水ぬれはティッシュやキッチンペーパーで済ませているそう。使い捨てで家事を最小限にすると割り切っているとのこと。ご夫妻ともハードな勤務の上、休日も家族でのお出かけが多いおうちです。また別のお宅では、脚立よりもワンタッチで開く踏み台を多用するとか。主に家事担当の奥さんは私より10cmほど背が高く、踏み台でも十分事足りるそうです。
たとえ同じ間取りの住まいで似た家族構成だとしても、家事のやり方が同じなんてことはあり得ない。よその良いやり方を知っても、うちで採用するのかは別問題です。家族の性格や体格、個性こそ家事のやり方を決める重要な要素のような気がします。
と考えると、わが家の脚立とぞうきんは「めんどくさがりで昔風」という家族の(私の)性質を表しているのでしょうか。何だか恥ずかしい話になってきた。
…いや、「合理的で環境に優しい」性質とも言えますよね!
息子の個室は誰のもの?
この春、息子が高校に進学しました。春休みに彼は自室の教科書や通学かばん、受験勉強に使ったプリント類など大量のものを入替えていました。そして今すでに新学期が始まっていますが、まだいくつか中学時代のモノは残ったまま。果たして片づけはいつ終わるのでしょうか?すでに廃棄の協力や声掛けなどはしたので、今は手を出さずに見守っています。
今回のことに限らず、中高生のわが子の衣食住に対してどこまで手を差し出すべきなのかは、正解が決められずモヤっとすることが多い。その要因を考えると、大きく分けて次の2つの葛藤があるように思います。
①親としての葛藤
わが子が成長するにつれ自分の衣食住を自身で回していけるようになってほしいと思うのと同時に、未熟なそのやり方が危なっかしくて見ていられないとも感じます。適切な手助けと過保護の境い目ってどこでしょうか?
②家庭の責任者(家事リーダー)としての葛藤
親は自身の責任のもと住まいを管理し家庭を運営しているので、同居者として子どもには運営方針に従ってほしい。でも最低限のルールを守ってもらうこととルールを押し付けることの境い目ってどこ?
中高生ともなれば身の回りのことは自分でできるようになってほしい。でもそのやり方は親が良いと思うものとは違うこともあります。わが家のやり方ではないと指摘したり未熟な点を指導して改めてもらうのか、または不完全ではあっても本人のやり方に任せるのか…。話し合いなどでお互い納得できる状態になると良いのですが。
わが家では息子の個室は本人が掃除機をかけることにしていますが、そこでおやつを食べたりもしていることを踏まえれば、掃除の頻度がとても低いと私自身は感じます。本音を言えば部屋をもうちょっとキレイに使ってほしい。また整理整頓のやり方も要領を掴んでいってほしい。実際、中学時代の教科書などは春休み中に片づけ終えたていたほうが、新生活で忙しくなった彼にとって良かっただろうと思っています。
でもマイナスと思われる面もひっくるめてそれらの営みは紛れもなく彼のものなんですよね。個室の壁や床・天井は法律的にあるいは経済的にはわれわれ親の所有ですが、そこに流れる時間や空間自体は息子のものだと言えるでしょう。やがて独立して家を出たらそこは彼のものではなくなるのかも。なんだか寂しいですが。
彼の部屋を‟彼のもの”にするためにも、その運営にできるだけ手出しせずに本人に委ねる。「部屋」を「人生」と言い換えても近いものがあるのかもしれません。
…などと考えつつ、今日もまだ片付いてないなぁと小さく開いた息子の部屋を横目で見ながらその前を通り過ぎています。